醍醐寺塔頭 三宝院の御朱印情報/京都市伏見区

伏見区

京都市伏見区にある醍醐寺塔頭「三宝院」の御朱印を紹介をします。

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御朱印

三宝院の御朱印

境内案内

建造物の大半が国宝・重文に指定されている

三宝院は永久3年(1115年)に、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建されました。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。その建造物の大半が重要文化財に指定されています。中でも庭園全体を見渡せる表書院は、醍醐の花見の際に奈良から移された能の楽屋を再移転し、中門を付加するなど書院造風に整えたもので、桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されています。唐門も国宝に指定されていて、平唐門、檜皮葺、黒漆塗りです。正面扉に金箔の桐紋、その脇に菊紋を張り付けるいかにも桃山期らしい豪壮な門です。


国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3年(1598)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり、今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。

豊臣秀吉が自らが基本設計した庭園

三宝院庭園は、この醍醐の花見に際して、豊臣秀吉が自らが基本設計を行ったものです。作庭は醍醐の花見が終わった4月から始められ、その年の8月に秀吉が死去した後は、第80代座主の義演の指導のもとで続けられました。義演は秀吉の基本設計をもとにさらに構想を発展させ、当時一流の庭師を作庭に参画させました。庭師の中には「天下一の石組の名手」と称された賢庭もいたと言われています。作庭は義演が亡くなる元和10年(1624年)までの27年間にわたしました。
当初は、三宝院庭園は表書院から眺めるための鑑賞式庭園として設計されていましたが、義演の死後に庭園内に茶室が置かれ、回遊もできるように造り変えられました。庭園の中心を占める池には「亀島」「鶴島」が配され、橋が架けられている。正面に据えられている「藤戸石」は、元々は管領家の細川氏の邸宅にあったもので、秀吉が聚楽第から運ばせたものです。背後には水の音が変化するようにしつらえられた三段の滝石組が造られています。

三宝院庭園は、安土桃山時代の華やかな雰囲気を今日に伝える日本庭園として貴重なものであり、昭和27年(1952年)に国の特別史跡および特別名勝に指定されました。

醍醐寺の御朱印

醍醐寺の御朱印情報

寺院情報

宗派

真言宗醍醐派

御本尊

  • 弥勒菩薩(みろくぼさつ)

所在地

京都市伏見区醍醐東大路町22

公式サイト

地図

 

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