東向観音寺の御朱印情報/京都市上京区

上京区

京都市上京区にある「東向観音寺」の御朱印を紹介をします。

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御朱印

東向観音寺の御朱印

※洛陽三十三所観音霊場第31番札所

境内案内

菅公自作の十一面観世音菩薩を安置

東向観音寺は、大同元年(806年)に大納言・藤原小黒麿(ふじわらのおぐろまろ)と賢璟法師が桓武天皇の勅により、王城鎮護の為に創建されました。当初は、朝日寺と称していました。その後、天暦元年(947年)に朝日寺の僧・最珍らが菅原道真を祀った北野天満宮を建立し、応和元年(961年)に菅原道真公自作の十一面観世音菩薩を筑紫観世音寺から勧請して安置しました。応長元年(1311年)に無人如導宗師(むにんにょどうすうすう)が中興し、花園・後醍醐・光厳・光明の四天皇信仰深く筑紫の観世音寺になぞらえて、観世音寺または観音寺と改称しました。そして、本堂が東を向くことから東向観音と称されるようになりました。元々は、西向及び東向の二堂ありましたが、応仁の乱や火災等で焼失し、西向きは再興されず東向観音堂のみ再建されました。

江戸時代に入ると一條家の祈願所となり、一條家出身で明治天皇の皇后になられた昭憲皇太后は、ご結婚なされる前に東向観音寺で勉学に励まれたと言われています。

菅原道真公母君の御廟

伴氏廟は、菅原道真公母君の御廟と伝わる石造五輪塔で、4メートルを超える巨大なものです。元々は、隣接する北野天満宮の三の鳥居西側(現在の伴氏社の場所)に位置し、洛中洛外図などにもよく描かれていますが、明治維新の廃仏毀釈の際にに東向観音寺に移されました。
古来より忌明(きあけ)に、この塔に参詣する風習があり忌明塔とも称されています。忌明とは、忌服(故人の冥福を祈り、喪に服す)期間を終える日、または、その日を迎えたことを言います。

寺院情報

宗派

真言宗泉涌寺派

御本尊

  • 十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

所在地

京都市上京区今小路通御前通西入上る観音寺門前町863

公式サイト

地図

 

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