熊野那智大社の御朱印情報/和歌山県那智勝浦町

那智勝浦町

和歌山県那智勝浦町にある「熊野那智大社」の御朱印を紹介をします。

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御朱印

熊野那智大社の御朱印

熊野那智大社(御縣彦社)の御朱印

境内案内

全国約4,000社ある熊野神社の御本社

熊野那智大社は、田辺市の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社とともに熊野三山の一社です。全国約4,000社ある熊野神社の御本社でもあり、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬の厚い社です。

紀元前662年に、神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)の一行が、丹敷浦(にしきうら)(現在の那智の浜)に上陸され、光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の現れたる御神体としてお祀りされました。一行は天照大神より使わされた八咫烏の先導により無事、大和の橿原の地へお入りになられ、紀元前660年2月11日に初代天皇、神武天皇として即位されました。
先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、現在は石に姿を変えて休んでいるといわれています。その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨され、御滝本にお祀りしておりましたが、仁徳天皇5年(317年)に、山の中腹にあらためて社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神様をお遷しました。これが熊野那智大社の始まりといわれています。

熊野那智大社の社殿および境内地は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部して登録されています。そして、五殿の本殿は国指定重要文化財にも指定されています。

現在は、平成29年1月日~平成31年12月31日までの期間、創建1,700年を記念して、拝殿やその他境内建物や別宮の祈願所及び社務所の施設整備事業が行われています。

熊野のお使い「八咫烏」

御縣彦社(みあがたひこしゃ)には、熊野の神様のお使いである、三本足の烏の八咫烏(やたがらす)お祀りされています。また、、即位以前の初代天皇、神日本磐余彦命を奈良の橿原の地まで道案内をした八咫烏が、案内を終えてこの那智山で「烏石」に姿を変え休んでいると伝わる石が社殿の前に置かれています。室町時代の那智山を描いた「那智山宮曼荼羅」にも現在と同じ場所で、本殿に囲まれる様にこの「烏石」が描かれています。

樟霊社(しょうれいしゃ)は、樹齢約850年の樟を御神木として祀っています。
幹が空洞化していて、通り抜けることが出来ます。平重盛の手植えとも伝わっています。

神社情報

御祭神

  • 大己貴命(おおなむちのみこと)
  • 家都御子大神(けつみこのおおかみ)
  • 御子速玉大神(くまのはやたまおのおおかみ)
  • 熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)
  • 天照大神(あまてらすおおみかみ)
  • 天神地祗(てんじんちぎ)

所在地

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1

公式サイト

地図

 

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