東寺(教王護国寺)の御朱印情報/京都市南区

南区

京都市南区にある「東寺(教王護国寺)」の御朱印を紹介をします。

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御朱印

東寺(弘法大師)の御朱印

※真言宗十八本山

東寺(大日如来)の御朱印

※京都十三仏霊場第12番札所

東寺(十一面観音菩薩)の御朱印

※洛陽三十三観音霊場第23番札所

東寺(毘沙門天)の御朱印

※都七福神

東寺(薬師如来)の御朱印

※その他、愛染明王(西国愛染十七霊場第8番)、不動明王、八幡大菩薩が頂けます。

境内案内

お大師様の寺

山号は八幡山と号する東寺(とうじ)は、真言宗全体の総本山でもあり、「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれています。
東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えました。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになりました。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。


8世紀末、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」という2つの寺院の建立が計画された。これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院でありました。
東寺は平安後期には一時期衰退しましたが、鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として、皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになりました。中でも空海に深く帰依したのは後白河法皇の皇女である宣陽門院でした。


中世以後の東寺は後宇多天皇・後醍醐天皇・足利尊氏など、多くの貴顕や為政者の援助を受けて栄えました。文明18年(1486年)の火災で主要堂塔のほとんどを失いましたが、豊臣家・徳川家などの援助により、金堂・五重塔などが再建されました。何度かの火災を経て、東寺には創建当時の建物は残っていませんが、南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままです。

伽藍

国宝の金堂は、東寺の中心堂宇で寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)までには完成していたと推定されています。。内部には本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されています。木造薬師如来および両脇侍像は重要文化財で、桃山時代の仏師康正の作です。
食堂(じきどう)は、空海没後の9世紀末から10世紀初め頃にかけて完成したと推定されていますが、文禄5年(1596年)の地震で倒壊し、寛政12年(1800年)にようやく再建されました。旧本尊の千手観音立像は、昭和5年(1930年)に火災で焼損し、現在は明珍恒男作の十一面観音像が本尊として安置されていています。


京都のシンボルでもある国宝の五重塔は、高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇ります。天長3年(826年)空海により、創建着手に始まりましたが、実際の創建は空海没後の9世紀末でありました。雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたものです。

寺院情報

宗派

東寺真言宗

御本尊

  • 薬師如来(やくしにょらい)

所在地

京都府京都市南区九条町1

公式サイト

地図

 

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