京都市下京区にある祇園祭山鉾の1つ「大船鉾」の御朱印を紹介をします。
御朱印
大船鉾の御朱印(平成29年)

※授与期間は祇園祭後祭期間中です。
大船鉾の御朱印(平成30年)

※授与期間は祇園祭後祭期間中です。
大船鉾の御朱印(令和元年)

※授与期間は祇園祭後祭期間中です。
境内案内
150年ぶりに巡行への復帰

後祭の殿をつとめる「大船鉾」は、500年余りの歴史を持ち、江戸時代の再三の大火に被災するもそのつど復興を繰り返してきましたが、幕末の元治元年(1864年)の「蛤御門の変」で、屋形・木組・車輪等の鉾本体を焼失しました。
神功皇后の御神像や舳に飾る大金幣、懸装品等は焼失を免れましたが、それ以来復興することはなく、巡行参加することもありませんでした。

しかし、長い年月を経て平成9年(1997年)にお囃子が復興し、焼失より150年目にあたる平成26年(2014年)に、後祭り巡行への復帰を果たすことができました。
“凱旋船鉾”と呼ばれてた「大船鉾」

大船鉾の始まりは、四条町では「祇園社記」の記事に基づき、嘉吉元年(1441年)の建立とされています。一説では、「康富記」の記述から、応永29年(1422年)にはすでに存在したという説もあります。いずれにしても応仁の乱以前からの古い歴史を持っています。
祇園祭には、前後2基の船鉾があります。神功皇后の説話に基づいて「出陣船鉾」「凱旋船鉾」という通称で呼ばれていたそうです。平成24年(2012年)の唐櫃(からびつ)巡行で復帰の際に「大船鉾」としました。唐櫃巡行とは、神面を木製の唐櫃に納め、担いで巡行に参加することで、大火で焼失した山鉾の多くが唐櫃巡行の数年後に再建を果たしているそうです。
「大船鉾」と呼ばれるようになったのは、後祭の船鉾の方が前祭のものより一回り大きかった為だそうです。
八坂神社(御霊会)の御朱印
神社情報
御祭神
- 神功皇后(じんぐうこうごう)
所在地
京都市下京区新町通四条下る四条町359-1
公式サイト
地図
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