京都市東山区にある「安井金毘羅宮」の御朱印を紹介をします。
御朱印
安井金毘羅宮の御朱印
境内案内
藤原鎌足が創建した「藤寺」が始まり
天智天皇の時代(668~671年)に藤原鎌足が、紫色の藤を植えた藤寺を創建して、子孫の繁栄を祈ったことが始まりとされています。
崇徳天皇は、この寺の藤をとても好まれていて、長寛2年(1164年)に崩御された時には自筆の御尊影を観音堂に祀ったそうです。
治承元年(1177年)、大円法師が御堂に籠り祈願をしていると、崇徳天皇が現れたそうです。このことは直ちに後白河法皇し知らされました。法皇の勅命で、光明院観勝寺が建立されました。しかし、光明院観勝寺は、応仁の乱(1467~1477年)の兵火により荒廃しました。
元禄8年(1695年)に太秦安井にあった蓮華光院がこの地に移建され、その鎮守として崇徳天皇と讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神と、源頼政公を祀ったことから「安井の金比羅さん」の名で呼ばれるようになったそうです。
明治になり蓮華光院を廃絶しましたが、鎮守であったこの社は「安井金比羅宮」と名を改めてられたそうです。
悪縁を切り、良縁を結ぶ
「縁切り縁結び碑」は悪縁を切り、良縁を結ぶと言われています。
御祈願の方法は、「形代(かたしろ)」(身代わりのおふだ)に、切りたい縁・結びたい縁などの願い事を書いた後、「形代」を持って願い事を念じながら碑の表から裏へ穴をくぐります。これでまず悪縁を切れます。次に裏から表へくぐって良縁を結びます。そして最後に「形代」を碑に貼れば、願いが叶うといわれています。
参拝者の様々な願いが書かれた「形代」が貼られていて、碑が見えないほどになっていますよ。
神社情報
御祭神
- 崇徳天皇(すとくてんのう)
- 大物主神(おおものぬしのかみ)
- 源頼政(みなもとのよりまさ)
所在地
京都市東山区下弁天町70
公式サイト
地図
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