京都市北区にある「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」の御朱印を紹介をします。
御朱印
賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御朱印
境内案内
京都で最古の神社のひとつ
賀茂別雷神社は通称「上賀茂神社」と呼ばれています。天武天皇の時代(678年)、現在の社殿の基が造営されましたが、神社が建つ以前にこの場所ではすでに信仰が始まっていたということが伝えられています。ちなみに、元々一つの神社であった賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)は京都で最古の神社といわれていて、世界遺産にも登録されています。また、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の社殿は、本殿など2棟が国宝、34棟が重要文化財にも指定されています。
欽明天皇の時代(539~571年)に、国中が天災に見舞われ、庶民が非常に貧窮していたので、欽明天皇が卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に天災の原因を占わせたところ、賀茂大神の祟りであることがわかりました。そこで、4月吉日を選び馬に鈴をかけ、人は猪頭をつけて盛大に祭りを行いました。 その結果、五穀は実り、天下泰平になったそうです。
そのようなこともあり、賀茂別雷神社(上賀茂神社)は多くの人々から信仰されるようになりました。なかでも皇室からの崇敬は厚く、桓武天皇が平安遷都の年である延暦13年(794年)に初めて上賀茂神社に行幸され、さらには武家の参社も相次ぎ、鎌倉幕府以降は、足利義満、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光なども上賀茂神社に参拝したそうです。
清めの砂の起源となった「立砂」
重要文化財にも指定されている「細殿(ほそどの)」は、天皇や上皇が社殿参拝の前に装束などを整えるための御殿なのですが、この細殿の前にあるのが、円錐型に整えられた一対の盛り砂があります。これは「立砂(たてずな)」と呼ばれ、賀茂別雷神が降臨したと伝えられる本殿の背後に位置する「神山(こうやま)」を模したものです。立砂の頂には神様が降臨する際の目印に松葉が立てられています。そして、この円錐形の立砂こそが、「清めの砂」の起源となったものです。
パワースポット「岩上」
一見、岩と草木があるだけの場所でありますが、「岩上」は賀茂別雷神社(上賀茂神社)の信仰の原点となる場所で、現在も重要な祭祀がここで執り行われています。神聖な「気」が集中している場所であるパワースポットです。
境外摂社「大田神社」の御朱印情報
神社情報
御祭神
賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)
所在地
京都市北区上賀茂本山339
公式サイト
地図
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