京都市東山区にある「青蓮院(青蓮院門跡)将軍塚青龍殿」の御朱印を紹介をします。
御朱印
青蓮院(青蓮院門跡)将軍塚青龍殿の御朱印
近畿三十六不動尊霊場19番札所
境内案内
国宝「青不動」を安置
そもそも青龍殿は、大正2年(1915年)に大正天皇の即位を記念して、「大日本武徳会京都支部武徳殿」として京都北野天満宮前に建立された木造大建造物です。武徳殿は一見純和風に見えて、屋根を支える小屋組みと建物を支える基礎は外来の技術が用いられており、「和洋折衷」という大正時代建築の特徴を示す木造大建造物です。
戦後、昭和22年(1947年)には。京都府に移管され、「平安道場」として警察の柔道剣道の道場となりましたが、平成10年(1999年)に京都府は、平安道場を閉鎖し、解体処分を決定しました。
平成21年(2009年)に、青蓮院が「青龍殿」として京都東山山頂将軍塚に移築再建することを決定し、平成26年(2014年)10月に完成いたしました。
青不動明王二童子像は、ご身体の色が青黒(しょうこく)なことから通称「青不動」と呼ばれ、高野山明王院の「赤不動」、三井寺の「黄不動」とともに日本三大不動のひとつとして有名です。製作時期は平安時代の中期、11世紀に当たるとされ、我が国仏教絵画史の最高傑作の一つとして、いち早く国宝に指定されました。絹本礼拝画像で、妄念や煩悩を焼き尽くす不動明王の気迫が拝する者を圧倒します。
国宝本体は奥殿に安置し、手前に精巧に製作された複製が祀られています。
京の都の始まりの地「将軍塚」
桓武天皇は都を奈良から京都の南方、長岡に移されましたが、いろいろと事故が続きました。この時、和気清麻呂は天皇をこの山上にお誘いし、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨進言しました。天皇はその勧めに従って延暦13年(794年)、平安建都に着手されました。
天皇は、都の鎮護のために、高さ2.5メートル程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられました。これが、この地を「将軍塚」と呼ぶ由来です。
京都市内を一望できる「大舞台」
青龍殿には清水寺の舞台の4.6倍の広さ(延面積:1046㎡)の木造大舞台を新設されました。眼下に京都市内が一望でき、西展望台からは京都市内のみならず、大阪のビルまで遠望でき最高の眺めです。
青蓮院(青蓮院門跡)の御朱印
寺院情報
宗派
天台宗
御本尊
- 熾盛光如来(しじょうこうにょらい)
所在地
京都市山科区厨子奥花鳥町28
公式サイト
地図
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