京都市左京区にある「吉田神社」の御朱印を紹介をします。
御朱印
吉田神社の御朱印
大元宮の御朱印
竹中稲荷社の御朱印
境内案内
京の都の鎮守神として創建
吉田神社は、貞観元年(西暦859年)に中納言藤原山蔭卿が春日の神を京の都の鎮守神として吉田山に勧請し創建されました。
この鎮座地である吉田山は、古来より「神楽岡」(神が集いし岡)と呼ばれ親しまれている聖地であり、現在でもその秀麗な山容は東山三十六峰の12峰目に数えられています。
鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝するようになりました。室町時代末期の文明年間(1469年 – 1487年)には吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として文明16年(1484年)、境内に末社・斎場所大元宮を建立しました。江戸幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていたそうです。その他、産生(うぶすな)の神をはじめ、菓子や料理の神を祀る摂社や末社も多数あります。
斎場所大元宮
天神地祇八百万神をまつる大元宮を中心とし、周囲に伊勢2宮をはじめ、全国の延喜式内社3132座を祀っています。八角形の本殿に六角の後房を付けた、極めて特異な形状をしており、重要文化財に指定されています。神職卜部(吉田)家邸内にあったのを、文明16年(1484年)吉田兼倶がここに移建したもので、吉田神道の根元殿堂として道を説き教えを設け、神職界の宗家として、大元宮を神道の中心地として神祇道の振興に貢献しました。
社に参詣すると全国の神社に詣でたものと同じ効験があるとして、毎年節分の日を中心に前後三日間行われる節分祭には多数の参詣者で賑わいます。
正月3日間と節分祭、毎月1日には、大元宮の本殿や東西諸神社など特別に参拝できます。
末社・竹中稲荷社
鎮座時期や由緒の詳細は不明ですが、宇賀御魂神・猿田彦神・天鈿女神を祀ります。古記によると、在原業平の住居が「神楽岡稲荷神杜の傍にトす」とあり、天長年間(824年~834年)にはすでに社殿があったことがうかがえる。江戸時代末期には多くの参詣者で賑わいました。
現在の地には天保11年(1840年)信徒の寄付金で造営されました。明治5年(1872年)に、吉田神社 末社となりました。
節分祭
室町時代に執行されて以来、信仰と伝統を誇る京都の一大行事です。節分祭は本宮並びに大元宮において節分の当日を中心に、前後3日間に亘って執行されます。
「鬼やらい神事」とも言われ親しまれているこの儀式は、2月2日の18時より本宮にて行われます。追儺式は、平安朝の初期より毎年宮中で行われていたものを古式にのっとったもので、現在のように鬼を追い払って福を招き入れる、節分の儀式の起源となったものです。
赤・青・黃の3匹の鬼を方相氏が退散させる儀式で、3匹の鬼は、怒り・悲しみ・苦しみを表す鬼だとされており、方相氏とは中国より伝承された4つ目で角が生えた鬼を追い払う鬼神です。3匹の鬼を追い払うことで人々は怒りや悲しみ、苦しみから開放され、幸福と平和な生活を送れると言われています。翌日3日には、前日の「鬼やらい」で方相氏に退治された鬼が改心して、「福来たる!」と黄金の扇子で参拝者の頭に福をもたらす鬼に生まれ変わります。
節分祭では、「福当たり」という抽選付きの厄除け福豆が販売されます。2月4日に行われる抽選会で発表される抽選番号と一致すれば、協賛している企業から豪華な景品をもらえます。
神社情報
御祭神
- 健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)
- 伊波比主命(いはいぬしのみこと)
- 天之子八根命(あめのこやねのみこと)
- 比売神(みけがみ)
所在地
京都市左京区吉田神楽岡町30
公式サイト
地図
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