京都府八幡市にある「石清水八幡宮」の御朱印を紹介をします。
御朱印
石清水八幡宮の御朱印
※鳩の姿を形どった「八」は書き手により異なります。
境内案内
“南西の裏鬼門”を守護する神社
貞観元年(859年)に、奈良大安寺の僧行教が、九州・豊前国の宇佐八幡で「吾れ深く汝が修善に感応す。敢えて忍忘する可からず。須らく近都に移座し国家を鎮護せん」との八幡大菩薩の神託をうけたそうです。その後、平安京に向かう行教が山崎離宮(大山崎町)で、再び「王城鎮護のため、男山に祀るように」との神託があったそうです。行教はこのことを朝廷に報告すると、時の清和天皇の命を承け、木工寮権允橘良基が、八幡宮の総本社である宇佐宮になぞれえて、正殿三宇、礼殿三宇からなる神殿六宇の造営に着手し、貞観2年(860年)4月3日に「石清水八幡宮」は鎮座したと伝えれれています。また、本社10棟が国宝に指定されています。
平安京では、石清水八幡宮は“南西の裏鬼門”を守護する神社として、“北東の鬼門”を守る延暦寺とともに皇室や朝廷から篤く崇敬されてきました。以来、伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟と崇められています。源氏もまた八幡神を氏神として仰いだため、八幡信仰は全国に流布しました。なかでも、源義家は7歳にして石清水八幡宮において元服し、「八幡太郎義家」と名乗り、源氏一門を隆昌に導きました。
鳩の姿を形どった「八」の字
室町将軍の足利義満も参詣の際は、一ノ鳥居前で牛車を降り、本殿に向かったと言われています。もともとは木造りによる鳥居の建立で、たびたび造り替えが行われました。応永8年(1401年)の造り替え時は、21日間かけてにようやく完成しましたが、鳥居の造り替えのための材木料や人夫の特別徴収が行われたため、応永29年(1422年)には大山崎離宮八幡の神人が、社務所の坊舎へ押し寄せ、乱闘になったと伝えてられています。鳥居は、元和元年(1615年)に木造りで建てられたのを最後に、寛永13年(1636年)に寛永の三筆とうたわれた松花堂昭乗の発案によって石造りに改められました。鳥居の額は、平安時代に書道の名人とうたわれた藤原行成が一条天皇の勅願により書いたもので、「八幡宮」の「八」の字は、鳩の姿を形どってあるといわれています。石造りに改められた際に、松花堂昭乗が行成の筆跡をそのまま書き写したものであり、惣胴板張りに金字で現されています。
石清水八幡宮 摂社の御朱印情報
神社情報
御祭神
- 誉田別命 (ほんだわけのみこと)
- 比咩大神 (ひめおおかみ)
- 息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)
所在地
京都府八幡市八幡高坊30
公式サイト
地図
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