興福寺の御朱印情報/奈良県奈良市

奈良市

奈良県奈良市にある「興福寺」の御朱印を紹介をします。

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御朱印

興福寺(南円堂)の御朱印

※西国三十三所観音霊場第9番札所

興福寺(南円堂)御朱印(御詠歌)

※西国三十三所観音霊場第9番札所

「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲 」

御詠歌

興福寺(世界文化遺産)御朱印

興福寺(一言観音)御朱印

※御詠歌も頂けます。

興福寺(北円堂)御朱印

※北円堂特別公開期間のみ

興福寺(中金堂)御朱印

興福寺(世界文化遺産)御朱印

※西国四十九薬師霊場第4番札所

※御詠歌も頂けます。

興福寺(千手観音)御朱印

興福寺(講堂)御朱印

境内案内

絶大な権力を誇っていたが、廃仏毀釈の余波を受けて衰退

興福寺は、天智天皇8年(669年)に藤原鎌足夫人の鏡王女(かがみのおおきみ)の病気回復を願い、山背国山階(京都市山科区)に建立した寺院が始まりです。創建当時は山階寺(やましなでら)という名前でした。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称しました。和銅3年(710年)の平城京遷都に伴い、藤原鎌足の息子である不比等(ふひと)が現在の場所に寺院を移転し、興福寺と名付けました。

奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護されました。平安時代には春日社の実権をもち、大和国一国の荘園のほとんどを領して事実上の同国の国主となりました。その勢力の強大さは、比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」と称されました。寺の周辺には塔頭寺院(子院)も百か所を超え、中でも天禄元年(1087年)に建立された大乗院は皇族や摂関家の子弟が入寺する門跡寺院として栄えたといわれています。


創建以来たびたび火災に見まわれたが、その都度再建を繰り返してきました。中でも治承4年(1180年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の最中に行われた平重衡の南都焼討では、東大寺とともに大半の伽藍が焼失したと言われています。その後、朝廷と藤原氏・興福寺が一体となって復興事業に取り組み、現存している建物の多くは、これ以降に造られたものです。また、仏像をはじめとする寺宝類も多数が焼失したため、現存する仏像の多くも鎌倉時代に作られています。江戸時代の享保2年(1717年)にも、興福寺は再び大規模な火災に巻き込まれました。この時に金堂・西金堂・講堂・南大門などが焼失しましたが、現在まで再建されていません。
江戸時代は2万1,000石の朱印を与えられ保護された興福寺ですが、慶応4年(1868年)神仏分離令を受け、春日社と分離されます。さらに廃仏毀釈の余波を受けて塔頭寺院はすべて廃寺となり、興福寺の僧侶たちは春日大社の神職になりました。境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった。一時は興福寺自体も廃寺同然となりましたが、行き過ぎた廃仏政策が反省されだした明治14年(1841年)に興福寺再興の許可が下り伽藍が修復されました。
1998年(平成10年)にはユネスコの世界遺産に登録され、世界的にも有名になります。現在は江戸時代に焼失した中金堂が再建中で、南大門の再建も計画されています。

数多くの文化財を有する

興福寺は、多くの文化財を所有しています。最も知られているのが、三面六臂(3つの顔に6本の腕)を持つ阿修羅像で国宝に指定されています。他にも、旧山田寺仏頭や木造金剛力士像など国宝に指定されているものが数多くあります。

また、興福寺を象徴する建造物の一つ五重塔は、藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘であり、聖武天皇の皇后でもあった光明皇后(こうみょうこうごう)の発願により、天平2年(730年)に創建されました。現在の塔は応永33年(1426年)に再建されたもので、国宝に指定されています。

南円堂は、弘仁4年(813年)に藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が、父の菩提を弔うために建立した八角堂です。現在の建物は寛保元年(1741年)に再建されたもので、重要文化財に指定されています。創建時の本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像で国宝に指定されています。そして、西国三十三観音霊場の9番札所にも指定されています。

北円堂は、養老5年(721年)に藤原不比等(ふじわらふひと)の一周忌を記念して元明上皇・元正天皇が建立しました。現在の建物は承元4年(1210年)ごろに再建されたもので、内部に祀られているのは、本尊である弥勒如来像や四天王像です。建物も本尊も現在は国宝に指定されており、特別拝観の時だけ内部が公開されます。

東金堂は、神亀3年(726年)に聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建しました。その後、被災と再建を繰り返し、現在の建物は応永22年(1415年)に再建されたものです。現在は、中に安置されている薬師如来三尊像などとともに国宝に指定されています。

寺院情報

宗派

法相宗

御本尊

  • 釈迦如来(しゃかにょらい)

所在地

奈良県奈良市登大路町48

公式サイト

地図

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