金戒光明寺の限定御朱印情報/京都市左京区

左京区

京都市左京区にある「金戒光明寺」の限定御朱印を紹介をします。

御朱印

金戒光明寺(黒本尊)の御朱印

※書置き

※大政奉還150周年記念。2017年12月まで

京都守護職の本陣

金戒光明寺は法然上人のゆかりの地で、1175(承久5)年に法然上人が庵を結んだのが始まりとされています。

文久2年(1862年)8月、京都守護職に任じられた会津28万石藩主の松平容保が、慶応3年(1867年)15代将軍の徳川慶喜が大政奉還を行うまでの間、京都で治安維持にあたりました。

松平容保は、家臣1千人を率いて1862年(文久2)12月24日午前9時頃、京都三条大橋に到着しました。京都所司代・京都町奉行の出迎えを受け、本陣となった黒谷・金戒光明寺に至る間、威風堂々とした会津軍が約4㎞も続いたと言われています。

京都守護職の本陣に金戒光明寺が選ばれたのは、城構えです。有事の時に軍隊が配備できるように、黒谷と知恩院には、それと分からないように城構えとしてました。黒谷が自然の要塞で、当時は天王山や淀川まで見渡せたようです。また、京都御所まで約2㎞、三条大橋の粟田口まで約1.5㎞で、馬で走れば5分、人でも15分で行けたそうです。そして、当時、約4万坪の大きな寺域に52もの宿坊があり、一千名の軍隊が駐屯できたとも言われています。

勝運の「黒本尊」

黒本尊とは、徳川家康の念持仏で、現在は東京の増上寺安国殿の本尊です。家康公出陣の際は、戦勝を祈願し共に戦場に赴いたと伝えられています。幾多の危難を逃れ家康公が勝利を得ることができたのも、黒本尊の功徳の賜物とも言われています。江戸時代中頃になると開運の秘仏として、広く人々に信仰されるようになったそうです。

金戒光明寺では、第五十六世定圓上人が1865年(慶応元年)に、會津家祈願の為に黒本尊の真影を法橋秀隆に画かせたと言われています。

金戒光明寺の御朱印

金戒光明寺の御朱印情報

寺院情報

宗派

浄土宗

御本尊

  • 阿弥陀如来(あみだにょらい)

所在地

京都市左京区黒谷町121

公式サイト

地図

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

コメント

タイトルとURLをコピーしました