京都市東山区にある「豊国廟」の御朱印を紹介をします。
御朱印
豊国廟の御朱印
※書置き
毎月18日の秀吉公月命日には金印で「五七桐紋」が押印されます。
境内案内
阿弥陀ヶ峰の頂上に埋葬
豊国廟は豊臣秀吉公の廟所です。豊国神社から、東へ歩いて20分ぐらいの阿弥陀ヶ峰にあります。京都女子学園があることから、通称「女坂」呼ばれる参道を登ると、拝殿が見えます。山頂の石塔までは、往復で約30分、489段の石段を登る必要があります。標高は196mです。
秀吉公の300年忌に再建
慶長3年(1598年)8月18日に秀吉公は齢63歳に伏見城で亡くなり、遺体は、遺命により阿弥陀ヶ峰に埋葬されました。
翌年4月18日、遷宮式が行われ、後陽成天皇から正一位豊国大明神の神階と神号を賜り、以後、毎年盛大な祭礼(豊国祭)が取り行われたそうです。しかし、元和元年(1615年)豊臣氏の滅亡と共に、廟は朽ち果て、墳墓に弔する人もなくなりました。
明治時代になると、秀吉を顕彰する豊国会によって再建が始まります。その中心は、なんと黒田長政の子孫だそうです。
明治30年(1897年)に秀吉公の300年忌に際し、廟は再建されました。驚くことに工事中偶然、秀吉公の墓は発見されました。遺骸は備前の大甕の中で、西を向いて手を組んで座っていたそうです。
現在は、遺骨を絹で包み、墳上の五輪石塔に納められているとのことです。
豊国神社の御朱印
神社情報
御祭神
- 豊臣秀吉公(とよとみひでよしこう)
所在地
京都府京都市東山区今熊野阿弥陀ケ峯町
公式サイト
地図
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