京都市中京区にある「行願寺(革堂)」の御朱印を紹介をします。
御朱印
行願寺(革堂)の御朱印(平成29年10月)
行願寺(革堂)の御朱印(平成29年11月)
※西国三十三所観音霊場19番札所
行願寺(革堂)の御朱印〈御詠歌〉(平成29年10月)
行願寺(革堂)の御朱印〈御詠歌〉(平成29年11月)
「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」
御詠歌
※西国三十三所観音霊場19番札所
行願寺(革堂)の御朱印
※洛陽三十三所観音霊場4番札所
行願寺(寿老人)の御朱印(平成29年10月)
行願寺(寿老人)の御朱印(平成30年1月)
※都七福神
境内案内
「皮聖」行円上人
山号を霊麀山と号する「行願寺」は、「革堂(こうどう)」名で人々に親しまれています。行願寺を創建した行円上人は、仏門に入る前は狩猟を業としていました。ある時、山中で雌鹿を射止めたところ、その傷口から小鹿が誕生しました。鹿は血まみれの小鹿の体を舐め愛おしんでいましたが、そのうち力尽きて死んでしまいました。その様子を見ていた行円上人は今までの殺生を悔い、仏門に入りました。行円上人は、死んだ雌鹿の革(皮)を常に身につけていたことから、「皮聖」「皮聖人」と呼ばれ、そのことから行願寺を「革堂」と呼ぶようになったそうです。行円上人が肌身離さずつけていたとされる雌鹿の革衣は、現在も行願寺の「宝物館」で大切に保管されています。
戦乱や火災により移転
寛弘元年(1004年)に、行円上人が一条北辺堂を復興して「行願寺」と名付けたのが始まりといわれています。創建当初は一条にありましたが、戦乱や火災で幾度も焼け、場所を替えつつも再建し、宝永5年(1708年)の大火後から現在の地にあります。
室町時代には町衆の町堂となるほど、上京区の町衆から篤い信仰を集めていました。境内には、京都市有形文化財に指定されている「本堂」、都七福神の寿老人がおまつりされている「寿老人神堂」、本堂と同様に京都市有形文化財に指定されている「鐘楼」などがあります。
寺院情報
宗派
天台宗
御本尊
- 千手観世音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)
所在地
京都市中京区寺町通竹屋町上る行願寺門前町17
公式サイト
地図
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