醍醐寺の御朱印情報/京都市伏見区

伏見区

京都市伏見区にある「醍醐寺」の御朱印を紹介をします。

御朱印

醍醐寺(薬師如来)の御朱印

醍醐寺(准胝観音)の御朱印

※西国三十三所観音霊場11番札所

醍醐寺(准胝観音)の御朱印〈御詠歌〉

「逆縁も もらさで救う 願なれば 准胝堂は たのもしきかな」

御詠歌

※西国三十三所観音霊場11番札所

醍醐寺(不動明王)の御朱印

※近畿三十六不動尊霊場23番札所

醍醐寺(役行者)の御朱印

※役行者霊蹟札所

境内案内

豊臣秀吉の「醍醐の花見」が復興のきっかけ

醍醐寺は、真言宗醍醐派総本山の寺院で、山号を醍醐山(深雪山)と称します。伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもち、古都京都の文化財として世界遺産に登録されています。

貞観16年(874年)に、弘法大師空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)によって醍醐山山頂付近に建立されました。これが、現在の上醍醐です。聖宝自身が皇室出身の僧侶だったため、醍醐寺は皇室からの守護を受けて修験者の霊場として発展しました。
その後、醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺に定め、醍醐山の麓に壮麗な伽藍群を建立します。これが現在の下醍醐です。

永久3年(1115年)に、鎌倉時代初期には醍醐寺第14代座主(住職)の勝覚(しょうかく)が門跡寺院である三宝院を建立し、醍醐寺は京都有数の大寺院になりました。

大いに栄えた醍醐寺ですが、応仁の乱による兵火で下醍醐の伽藍は五重塔を残して焼失し、衰退してしまいます。慶長3年(1598年)に、豊臣秀吉が「醍醐の花見」を行ったことがきっかけで復興が始まり、焼失した伽藍の大部分が再建されました。

数多くの国宝・重要文化財を有する寺院

金堂は下醍醐の中心に建てられている建物で、本堂にあたり国宝に指定されています。現在の建物は豊臣秀吉の命令により、紀州(和歌山県)の湯浅から移築されたもので、慶長3年(1598年)から移築を開始し、秀吉没後の慶長5年(1600年)に落慶しました。内部には、重要文化財に指定されている薬師如来三尊像が安置されており、三尊像の両脇には平安時代に作られた四天王像が祀られています。

五重塔は京都府で最も古い木造建築物で、下醍醐の中で唯一建立された当時のまま現存している建物です。天暦5年(951年)に、醍醐天皇の冥福を祈るために、第三皇子の代明親王が発願し、穏子皇太后の令旨で建立が計画された。しかし、代明親王の死去などの影響で工事は停滞し、発願の20年後に完成しました。現在は国宝に指定されています。

塔の内部に描かれている両界曼荼羅(りょうかいまんだら)や真言八祖像(しんごんはっそぞう)は、日本の密教絵画の源流をなす歴史的価値の高いものです。特に真言八祖の一人として描かれている空海は、絵画史上最古の空海像といわれています。

その他にも数多くの国宝・重要文化財を有する大寺院です。

寺院情報

宗派

真言宗醍醐派

御本尊

  • 薬師如来(やくしにょらい)

所在地

京都市伏見区醍醐東大路町22

公式サイト

地図

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