京都市伏見区にある「長円寺」の限定御朱印を紹介をします。
御朱印
長円寺の限定御朱印(閻魔札朱印)
※授与期間は平成29年10月から平成30年1月
※書置き(2枚1組)
境内案内
京都の入口に建立され多くの信仰を集める
長円寺は、大阪から京都に向かう京街道の途中、淀の入口に建立され、江戸時代から多くの方の信仰を集めるお寺です。
境内にある閻魔堂は、新選組や幕府軍も拝まれた閻魔王です。宝暦年間(1750年頃)に書かれた「淀真砂子」には、武家・町家の方々の信仰を集め、正月16日・7月16日の縁日には鉦盤を鳴らし善男善女が高張提灯の中を参拝し商人が来て店を張った、と記されいます。
観音堂に安置されている足立観音は、和気清麻呂の夢に出てこられ、国を導いた観音菩薩です。和気清麻呂の傷を治したことから足腰治癒、健康祈願の御利益があり、年に一度の御開帳には多くの参拝者が訪れます。足立観音は、八幡大菩薩の化身とされ、「8月18日の政変」で京都から追い出された長州藩は男山。大山崎の八幡神社に集りましたが、京都の入口にあるこの長円寺の観音様にもお参りされたと伝えれれています。
幕府軍野戦病院の地
慶応4年(1868年)に開戦した鳥羽伏見の戦いで、伏見方面の幕府軍(幕臣・新撰組・見廻組・会津藩等)は淀千両松に布陣して政府軍を迎撃したが敗退し、淀城の入城も拒まれていしまいます。幕府軍は男山・橋本方面へ撤退し、その負傷者・戦死者は長円寺に運ばれました。この戦闘では新撰組隊士の三分の一が戦死し、長円寺は淀の戦いの中で野戦病院となりました。
この時、長円寺が戦場にならず、幕府軍の治療や戦死者の供養を続けられたのは、二つの理由があったと伝えられています。
・閻魔王の前で争い、罪を犯すことは出来なかった。
・八幡大菩薩の化身である足立観音を安置する当寺を政府軍(長州・薩摩・土佐藩等)が攻めることは恩を背くことになる。
新撰組は鳥羽伏見の戦いで政府軍に敗北し、榎本武揚が率いる幕府所有の軍艦で江戸に撤退します。後に土方歳三が榎本に、鳥羽伏見の戦いの中、長円寺が幕府軍を助けた寺であるとして話をした伝えれていて、明治40年(1907年)に、榎本武揚により書かれた幕府軍の戦死者慰霊碑が当寺に建立され、今なお法要で供養されています。
寺院情報
宗派
浄土宗
御本尊
- 阿弥陀如来(あみだにょらい)
所在地
京都市伏見区淀新町681
公式サイト
地図
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