京都市上京区にある「白峯神宮」の御朱印を紹介をします。
御朱印
白峯神宮の御朱印
※書置き
境内案内
孝明天皇の意を継ぎ明治天皇が造営
崇徳上皇は保元の乱に敗れて讃岐に流され、その地で亡くなりました。その後、天変地異が相次いだことから上皇の祟りとされ、上皇が葬られた白峯陵(香川県坂出市)の前に、上皇を白峯大権現として祀る御影堂が建立されたそうです。幕末の動乱期、孝明天皇は異郷に祀られている崇徳上皇の霊を慰めるため、その神霊を京都に移すよう幕府に命じましたが、その後間もなく崩御してしまいました。子の明治天皇がその意を継ぎ、現在地に社殿を造営し、慶応4年(1868年)、御影堂の神像を移して神体とし白峯宮を創建したのがはじまりです。
その後、明治6年(1873年)、藤原仲麻呂の乱に巻き込まれて淡路に配流されて、そこで亡くなった淳仁天皇(淡路廃帝)の神霊を淡路から迎えて合祀しました。昭和15年(1940年)に官幣大社に昇格し、神宮号の宣下を受けて白峯神宮となりました。
スポーツの守護神
白峯神宮は、もともと蹴鞠や和歌を教えることを家業としていた公家・飛鳥井家の屋敷の跡に建てられました。平安時代、飛鳥井家の祖先である藤原成通が、1000日の間、鞠を落とさずに蹴るということで願をかけた際に現れた神様を飛鳥井家の守護神「精大明神」として祀っています。藤原成通は、その後も蹴鞠の達人として長く語り継がれ、現在でも白峯神宮境内東側にある地主社(じしゅしゃ)に「精大明神」が祀られており、球技を始めとするスポーツの上達を願う人々が絶えず参拝しています。
毎年4月14日と7月7日に境内で蹴鞠の奉納が行われています。平安時代の衣装に身を包んだ人たちの蹴鞠を見ることができます。
神社情報
御祭神
- 崇徳天皇(すとくてんのう)
- 淳仁天皇(じゅんにんてんのう)
所在地
京都市上京区今出川通り堀川東飛鳥井町261
公式サイト
地図
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