京都府宇治市にある平等院塔頭「最勝院」の御朱印を紹介をします。
御朱印
最勝院の御朱印
境内案内
平等院塔頭寺院のひとつ
平等院の管理において天台宗と浄土宗が勢力争いを続けていましたが、天和元年(1681年)寺社奉行の裁定により、浄土宗・天台宗の共同管理となりました。明治維新までは10弱の塔頭がありましたが、現在は浄土宗「浄土院」と天台宗「最勝院」の2塔頭によって共同管理されています。
承応3年(1654)京都東洞院の六角勝仙院(住心院)の僧が平等院に移住し、その住庵を最勝院と呼んだことが始まりとされています。玄関の上部には藤の花の透板彫が施された欄間があり、伏見城から移されたものと伝えられれいます。
歌人としても名高い源頼政の墓所
境内には源頼政の墓があり、頼政の命日5月26日には平等院で「頼政忌」が行われます。
源頼政は「平家にあらずんば人にあらず」とまで言われていた平氏政権下で、源氏として初めて従三位を授けられました。
しかし、治承3年(1179年)清盛が、後白河法皇を幽閉し、高倉天皇を譲位させて、3歳の安徳天皇を即位さたという、治承三年の政変を起こしたことに不満を持ち、息子の仲綱ら一族郎党とともに、以仁王を奉じて平家打倒をひそかに計画を進めますが、平家に露見してします。
治承4年(1180年)に宇治川の戦い(平等院の戦い)となりますが、平氏の追撃を受け、平等院境内にて「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける」と言う辞世の和歌を残して自刃しました。
平等院の御朱印
平等院は境内の他場所でも御朱印を拝受できます。
寺院情報
宗派
天台宗
御本尊
- 不動明王(ふどうみょうおう)
所在地
京都府宇治市宇治蓮華116
公式サイト
地図
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