京都市西京区にある「善峯寺」の御朱印を紹介をします。
御朱印
善峯寺の御朱印
※西国三十三所観音霊場第20番札所
善峯寺の御朱印〈御詠歌〉
「野をもすぎ 山路にむかふ 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立」
御詠歌
※西国三十三所観音霊場第20番札所
善峯寺の御朱印(薬師堂)
※その他に「京都洛西観音霊場第1番札所」、「薬師堂(御詠歌)」などもいだだけます。
境内案内
桂昌院の帰依により再興
西山と号する善峯寺は、平安中期の長元2年(1029年)に、源算上人により開かれました。西国三十三所第20番札所にもなっています。
長元7年(1034年)には、後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号を賜りました。長久3年(1042年)に、後朱雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の仁弘法師御作千手観音を当山に遷して本尊とされました。建久3年(1192年)に、後鳥羽天皇より現在の「善峯寺」の宸額を賜ったことによって寺号が善峯寺と改められました。また白河天皇や後花園天皇により伽藍寄進整備がなされ、後嵯峨天皇や後深草天皇など皇室の御崇敬をうけたといわれています。
鎌倉時代には慈鎮和尚や証空上人が住職を勤め、また青蓮院から多くの法親王が入山したため「西山門跡」と呼ばれましたが、応仁の乱により大半の伽藍が焼失しました。その後、江戸時代には徳川5代将軍綱吉公の生母である桂昌院によって、現存の鐘楼・観音堂・護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂が復興されて、幾多の貴重な什物が寄進されました。山内最古の建物である多宝塔は元和7年(1621年)に賢弘により再建されたもので重要文化財に指定されています。薬師堂に祀られている薬師如来は、桂昌院出生の由緒により出世薬師如来といわれています。
日本一の松
遊龍の松は、五葉松で樹齢600年以上、全長37m、国の天然記念物に指定されています。主幹が地を這うように伸びる巨大な松は、臥龍の遊ぶ様に見えることから、安政4年(1857年)、花山前右大臣家厚公により「遊龍」と命名されました。平成6年(1994年)に松くい虫の被害により、全長50mほどの松が15m余り切断され、現在は全長37mとなっています。
善峯寺は、春は桜、秋は紅葉の名所として知られていますが、紫陽花や秋明菊など一年を通して境内は四季折々の花に彩られます。
寺院情報
宗派
善峰観音宗
御本尊
- 十一面千手観世音菩薩(じゅういちめんせんじゅかんのんぼさつ)
所在地
京都市西京区大原野小塩町1372
公式サイト
地図
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