京都府宇治市にある「三室戸寺」の御朱印を紹介をします。
御朱印
三室戸寺の御朱印
※西国三十三所観音霊場第10番札所
三室戸寺の御朱印(御詠歌)
※西国三十三所観音霊場第10番札所
「夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波」
御詠歌
三室戸寺の御朱印(浮舟)
三室戸寺の御朱印(芭蕉の句)
「山吹や 宇治の焙炉の 匂ふとき」
御詠歌
境内案内
光仁天皇の勅願により創建
明星山と号する、三室戸寺(みむろとじ)は、宝亀元年(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものと言われています。
伝承では、天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願い、右少弁(右少史とも)藤原犬養なる者に命じて、その光の元を尋ねさせました。犬養がその光を求めて宇治川の支流志津川の上流へたどり着くと、滝壺に身の丈二丈ばかりの千手観音像を見たそうです。犬養が滝壺へ飛び込むと1枚の蓮弁(ハスの花びら)が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じたそうです。光仁天皇がその観音像を安置し、行表を開山として創建したのが三室戸寺の起こりで、当初は御室戸寺と称したといました。その後、桓武天皇が二丈の観音像を造立、その胎内に先の一尺二寸の観音像を納めたと伝えられています。
その後、寛正年間(1460 – 1466年)の火災で伽藍を失い、再興されたものの、天正元年(1573年)には織田信長と争った足利義昭に加勢したため焼き討ちされます。現存する本堂は江戸時代後期の文化11年(1814年)に再建されたものです。
花の寺
庭園 『与楽園』 は5000坪の広さがあり、枯山水・池泉・広庭からなります。5月は2万株のツツジ、一千本のシャクナゲ、6月は1万株のアジサイ、7月はハス、さらに秋は紅葉の名所です。花の寺として有名です。
寺院情報
宗派
本山修験宗別格本山
御本尊
- 千手観音(せんじゅかんのん)
所在地
京都府宇治市莵道滋賀谷21
公式サイト
地図
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