京都市東山区にある建仁寺塔頭「霊源院」の限定御朱印を紹介をします。
御朱印
建仁寺塔頭 霊源院の御朱印(義元)
※書置き
建仁寺塔頭 霊源院の御朱印(寿佳尼)
※書置き
建仁寺塔頭 霊源院の御朱印(雪斎)
※書置き
建仁寺塔頭 霊源院の御朱印(信長)
※書置き
今川義元生誕500年記念
境内案内
幼年期の一休宗純も学ぶ
霊源院は、室町時代の応永年間(1394年-1428年)に、龍山徳見和尚を勧請開山として創建されました。当初は霊泉院といわれていましたが、その後霊泉院の僧である瑞巌龍惺(ずいがんりゅうせい)和尚(1384年-1460年)の軒名である霊源を用いて霊源院とされました。
鎌倉時代末期から室町時代に五山文学が栄えましたが、霊源院は五山文学の最高峰の一つとされていていました。
中でも霊源院の学僧だった慕哲龍攀は詩名が高く、大徳寺の一休宗純が幼年期に作詩の法を学んだ事でも知られています。床の間には一休禅師の書かれた扇が置かれています。
中巌円月坐像は五山文学で活躍した臨済宗の僧侶、中巌円月の木像。伝統的な技法を継承する南北朝時代の肖像彫刻であり、玉眼を嵌め込んだ表情が見事な写実性に優れた傑作です。毘沙門天立像は中巌円月坐像の胎内仏で、慶派仏師によって鎌倉時代に手がけられた木像。動きのある衣の表現など、細部にまで丁寧な彫刻が施されています。左手に持つ水晶の中には伝教大師最澄が持ち帰ったという仏舎利が納められています。
今川義元の生誕500年
第53回京の冬の旅では、霊源院で出家した戦国大名・今川義元の生誕500年を記念し、義元筆の書状、織田信長筆書状、義元と太原雪斎(たいげんせっさい)の師となる常庵龍崇(じょうあんりゅうすう)筆偈頌(げじゅ)、千利休筆書状、細川幽斎筆書状、狩野山楽筆「布袋像」などが初公開されました。
建仁寺塔頭 霊源院の御朱印
建仁寺の御朱印
寺院情報
宗派
臨済宗建仁寺派
御本尊
- 薬師如来(やくしにょらい)
所在地
京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町594
公式サイト
地図
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