京都市下京区にある「繁昌神社」の御朱印を紹介をします。
御朱印
繁昌神社の御朱印
※書置き
境内案内
商売繁盛の神社
繁昌神社(はんじょうじんじゃ)は、延喜年間(901年~922年)に、安芸国の宮島から市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命の宗像三女神を、藤原繁成の邸宅の庭にある功徳池の中島に勧請したのが繁昌神社の起源と言われています。三女神は、海上交通の神で、商品流通の守護から「市の神」として信仰されています。江戸時代には真言宗の寺院によって管理され、功徳院と呼ばれていたが、明治の神仏分離により神社だけが残りました。かつては班女神社(はんにょじんじゃ)と呼ばれていましたが、いつしか訛って繁昌神社(はんじょうじんじゃ)と呼ばれるようになったといわれています。18世紀になると周辺が繁昌町と呼ばれるようになり、現在でも下京区繁昌町という地名として残っています。
13世紀前半に成立した『宇治拾遺物語』巻三十五には、長門前司の娘の葬送をめぐる怪異譚として繁昌神社の前身社が登場します豊臣秀吉が社殿を東山五条の佐女牛八番宮社(若宮八幡宮社)近くに移そうとしましたが、祟りがあったとして現在地に戻されたといわれています。
神社情報
御祭神
- 市杵嶋姫命(いちきしまひめ)
- 田心姫命(たごりひめ)
- 湍津姫命(たぎつひめ)
所在地
京都市下京区高辻通室町西入ル繁昌町308
公式サイト
地図
最新情報をお届けします
コメント