城南宮の御朱印情報/京都市伏見区

伏見区

京都市伏見区にある「城南宮」の御朱印を紹介をします。

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御朱印

城南宮の御朱印

真幡寸神社の御朱印

境内案内

1200年の歴史を持つ神社

延暦13年(794年)の平安京遷都に際し、都の安泰と国の守護を願い、「城南大神」と崇められたのが、城南宮のご創建と伝えられています。城南宮とは平安城の南に鎮まるお宮を意味します。
平安時代後期には、白河上皇や鳥羽上皇によって、城南宮を取り囲むように城南離宮(鳥羽離宮)が造営されて院政の拠点となりました。また、京都御所の裏鬼門を守る神となったことから貴族の方違の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようにりました。
応仁の乱などの戦乱で一時は荒廃しましたが、江戸時代になり復興され、霊元法皇や和宮親子内親王の方除の祈祷や、孝明天皇は正五九月の祈祷に訪れたそうです。この慣わしは「正五九参り」として今でもに続いています。
慶応4年(1868年)鳥羽伏見の戦いは、城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲により、旧幕府軍に勝利すると薩摩の軍勢は“城南宮の御加護によって勝利を得られた”と御礼参りに訪れたそうです。
近年の城南宮は「方除の大社」として、転居、旅行の厄除けから転じて交通安全の神としても広く信仰されています。

現在は、平成の御遷宮として本殿の改修工事が行われています。

摂社の真幡寸神社

「真幡寸(まはたき)神社」の創立年代は不詳ですが、『日本紀略』嵯峨天皇の弘仁7年(816年)7月条に、「山城国紀伊郡飛鳥田神・真幡寸神官社の例に預り、並びに鴨別雷神の別也」記載されています。
一説では、この地にあった「真幡寸神社」に、平安京が出来る際に国常立尊が併祀されたのが「城南宮」の始まりと伝えられています。
もともとは藤森神社の現在の社殿の隣に鎮座していたのですが、藤森神社が伏見稲荷大社の場所から遷座して来たので、西方のこの地に遷座したという事です。
江戸時代には、幕府より由緒に関する照会があり、回答した文書も伝わっています。
「城南宮」も明治時代は「真幡寸神社」と称していたこともあり、戦後に「城南宮」に改め、「真幡寸神社」を境内摂社にしたようです。
謎の多い神社ではありますが、歴史に左右されながらも、氏子たちの信仰が厚く、石の社号標や石灯籠が寄進されています。

祭神は、真幡寸大神と応神天皇を祀られています。

城南宮(正五九参り)限定御朱印

城南宮(5月参り)限定御朱印情報

神社情報

御祭神

  • 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
  • 八千矛神(やちほこのかみ)またのご神名を大国主命(おおくにぬしのみこと)
  • 息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)またのご神名を神功皇后(じんぐうこうごう)

所在地

京都市伏見区中島鳥羽離宮町7

公式サイト

地図

 

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