京都市中京区にある「誠心院」の御朱印を紹介をします。
御朱印
誠心院の御朱印
境内案内
初代住職は和泉式部
誠心院は正式には「華嶽山東北寺(かがくざんとうぼくじ)誠心院」と号する真言宗泉涌寺派の寺で、通称「和泉式部寺」と呼ばれています。
万寿4年(1027年)に関白藤原道長が、娘の上東門院(藤原彰子)に仕えていた和泉式部のために、法成寺東北院内の一庵を与えたのが当寺の始まりといわれています。当所、御所の東側にありましたが、鎌倉期に一条小川(上京区)にある誓願寺の南に移転しました。この頃に 泉涌寺の末に成ったようです。さらに天正年(1573年~1591年)に豊臣秀吉の寺町整備に際しこの地に移されました。 禁門の変による元治元年(1864年)の大火から立ち直る間もなく、明治4年(1871年)京都府知事の命令で、境内に新京極通りが通り境内地は二分され、山門をはじめ堂宇を失いました。
恋授けのご利益がある「鈴成り輪」
和泉式部の古い灯篭の竿と台座を使った鈴なりの輪で「魔尼車」とも呼ばれ、一回転させれば、経典を一回読誦した功徳が得られるといわれています。知恵授け、恋授けのご利益があるといわれています。
また、和泉式部は、平安時代の代表的な女流歌人で、才色兼備で知られ、代々の勅撰集におさめられている和歌は247首に及んでいます。
寺院情報
宗派
真言宗泉涌寺派
御本尊
- 阿弥陀如来(あみだにょらい)
所在地
京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487
公式サイト
地図
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