京都市左京区にある「須賀神社・交通神社」の御朱印を紹介をします。
御朱印
須賀神社の御朱印
交通神社の御朱印
境内案内
古くは西天王社と呼ばれていた
平安時代末の康治元年(1142年)美福門院の建てた歓喜光院の鎮守として創祀されたもので、もとの社地は平安神宮蒼竜楼の東北にある西天王塚辺りで、当社は岡崎の東天王社と相対して古くは西天王社と呼ばれいました。鎌倉期、北条高時の反乱で吉田神楽岡に避難し、いまの地に移ったのは大正13年(1924年)のことです。
1964年(昭和39)交通神社を分祀。平成17年(2005年)に本殿と拝殿が焼失してしまいましたが、すぐに再建されました。
縁結びの「懸想文」
須賀神社の御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)と櫛稲田比売命(くしなだひめ)です。
この2つの神様は夫婦の神様で、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した後、櫛稲田比売命と結婚し、一生を円満に暮らした逸話があり、夫婦円満のご利益があると、昔から信仰されていました。
節分になると、須賀神社には懸想文売り(けそうふみうり)が現れます。懸想文とは現代でいうところのラブレターで、懸想文売りとは、当時文字の書けなかった庶民に身分を隠した貴族がラブレターを代筆した姿だったと言われています。
この懸想文を箪笥や鏡台に入れておくと、着物が増え美人になり良縁に恵まれるという噂が広まり、以降、この懸想文売りが現れる須賀神社は縁結び神社として知られるようになりました。
「東天王」の岡崎神社
神社情報
御祭神
須賀神社
- 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
- 櫛稲田比売命(くしなだひめ)
交通神社
- 久那斗之神(くなどのかみ)
- 八衢比古命(やちまたひこのみこと)
- 八衢比売命(やちまたひめのみこと)
所在地
京都市左京区聖護院円頓美町1
公式サイト
地図
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