京都市東山区にある「六道珍皇寺」の限定御朱印を紹介をします。
御朱印
六道珍皇寺の限定御朱印
※11月23日限定御朱印
境内案内
「六道の辻」と呼ばれる六道珍皇寺
六道珍皇寺は山号は大椿山と号し、小野篁(おののたかむら)が冥界に通ったと伝わる井戸で知られています。本尊は木造薬師如来坐像は重要文化財に指定されています。
所在地付近は、平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれています。「六道の辻」は五条通(現在の松原通)沿いの六道珍皇寺門前やその西方の西福寺付近とされています。
創建は延暦年間(782年〜805年)とされていまます。開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊です。異説としては、空海や小野篁などとする説のほか、かつてこの地に住した豪族鳥部氏の氏寺(鳥部寺、宝皇寺)がその前身であるともいわれています。さらに東寺百合文書の「山城国珍皇寺領坪付案」という文書(長保4年・1002年)には、珍皇寺は承和3年(836年)に山代淡海が創建したともあります。
鎌倉時代までは東寺の末寺として多くの寺領と伽藍を所有していましたが、南北朝時代以降、寺領の多くが建仁寺の所有に転じたことや、戦乱により衰退しました。貞治3年(1364年)、建仁寺から聞溪良聰が入寺して再興されました。明治に入り一時建仁寺に併合された時期もありましたが、明治43年(1910年)に独立しました。
閻魔王宮の役人・小野篁
小野篁(802年〜852年)は参議小野岑守の子です。嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で、武芸にも秀で、また学者・詩人・歌人としても知られる。文章生より東宮学士などを経て閣僚級である参議という高位にまでなった文武両道に優れた人物です。また、なぜか閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説があります。
仁寿2年(852年)12月22日に亡くなりました。2013年よりご縁日を記念し、閻魔さまの化身ともされる篁卿とよりよいご縁を結んでいただくために、命日の翌日に限り特別な墨書ご朱印を授与していただけます。
寺院情報
宗派
臨済宗建仁寺派
御本尊
- 薬師如来(やくしにょらい)
所在地
京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
公式サイト
地図
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