京都市東山区にある「豊国神社」の御朱印を紹介をします。
御朱印
豊国神社の御朱印(平成29年6月)
豊国神社の御朱印(平成29年9月)
毎月18日の秀吉公月命日には金印で「五七桐紋」が押印されます。
豊国神社オリジナル御朱印帳には「みみずの糸印」が押印されます。
上記とは別にもう一種類御朱印があります。その日の書き手の方によって変わるようです。
境内案内
明治天皇の命により復興
慶長3年(1598年)に亡くなった秀吉公は、翌年慶長4年(1599年)に遺命にり阿弥陀ヶ峯山頂に秀吉公を祀る豊国社が創建されました。朝廷からは正一位の神階と「豊国大明神」の御神号を賜り、壮麗壮大な神社であったと言われています。しかし大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡した後は、徳川幕府の命により廃祀されました。
明治元年(1868年)明治天皇により、豊国神社再興を命じられ、明治6年(1873年)には、別格官幣社に列し、明治13年(1880年)に、方広寺大仏殿跡地に社殿が建立し、豊国神社は復興しました。
国宝三大唐門の一つ
伏見城の遺構と伝えられている唐門は、伏見城が落城した後、二条城に移され、南禅寺の金地院に移された後に豊国神社に移築されたものです。
西本願寺、大徳寺の唐門とともに国宝三唐門のひとつとされています。
当時は、全体が黒漆塗りで随所に金箔が施されて彫刻も極彩色だったようです。
伝説の彫刻家・左甚五郎によるものとされる見事な彫刻が随所に施されています。
豊臣家の家紋である「五七桐」や、出世を象徴する「鯉の滝登り」など、とくに正面上部の「目無しの鶴」の彫刻は、その見事な出来栄えで、飛び立ってしまわないようにあえて眼を入れなかったと伝っています。
扁額の神号「豊国大明神」は、後陽成天皇の宸筆と言われています。
豊国神社(豊国大明神)の御朱印
豊国廟の御朱印
神社情報
御祭神
- 豊臣秀吉公(とよとみひでよしこう)
所在地
京都市東山区大和大路通正面茶屋町530
公式サイト
地図
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