今宮神社の御朱印情報/京都市北区

北区

京都市北区にある「今宮神社」の御朱印を紹介をします。

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御朱印

今宮神社(和歌)の御朱印

「白妙の とよみてぐらを とりもちて いはひぞ初むる 紫の野に」

御詠歌

※見開き3面サイズ・御朱印帳込

※御朱印帳購入時のみ頂くことができます。

今宮神社(花傘)の御朱印

※見開きサイズ

境内案内

平安遷都以前よりこの地で信仰されていた

平安遷都以前から疫神スサノオを祀る社(現在は摂社の疫神社)があったと言われています。
正暦5年(994年)に大規模な疫病が流行ったときに、この地の疫神を2基の神輿に祀り船岡山に安置し、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊り、病魔のよれる人形を難波江に流したといわれています。これが夜須礼(やすらい祭)の起源とされています。
長保3年(1001年)に、再び疫病が流行したことから、疫神は船岡山からこの地に戻され、新たに設けられた神殿三宇ともども「今宮社」と名づけられました。これが今宮神社の始まりです。
応仁・文明の乱(1467年-1478年)では今宮神社も焼失し、今宮神社自体も荒廃ました。
文禄2年(1593年)に豊臣秀吉によって御旅所が再興され、また5代将軍の徳川綱吉公の生母である桂昌院によって、元禄七年(1694年)には荒廃していた社殿の造営が行われ、祭礼も往時のような盛況を取り戻したと伝えられています。
明治29年(1896年)にも本社殿を焼失しましたが、明治35年(1902年)に再建を果たしました。

「シンデレラストーリー」お玉の物語

今宮神社は別名「玉の輿神社」とも呼ばれています。「玉の輿」の語源のひとつに、5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院(お玉)の出生の話がありあます。

八百屋の娘として産まれたお玉は、3代将軍徳川家光の側室となり、5代将軍となる綱吉を産みました。綱吉が将軍となった後に、官位は従一位となりましたが、これはかつての春日局の従二位を超えていて、女性としては最高位になります。八百屋の娘が将軍の側室となることによってそのように登りつめた。まさに大出世した。
その、お玉によって復興した神社から、「玉の輿神社」と呼ばれるようになったとも言われています。

今宮の奇石「阿呆賢さん」

古くから神占石とも言われている「阿呆賢さん」は、病弱な者はこの石に心を込めて病気平癒を祈り、軽く手のひらで石を撫で、その撫でた手で身体の悪いところを摩れば健康回復を早めると伝えられています。

また、「重軽石(おもかるいし)」とも言われ、まず軽く手のひらで三度石を叩いて持ち上げ、次に願いごとを心の中で唱えながら三度手のひらで撫でて持ち上げます。最初に持ち上げた時よりも軽く感じれば、願い事は叶うと言われています。

神社情報

御祭神

  • 大己貴命(おおなむちのみこと)
  • 事代主命(ことしろぬしのみこと)
  • 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)

所在地

京都府京都市北区紫野今宮町21

公式サイト

地図

 

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