京都市東山区にある建仁寺塔頭「両足院」の御朱印を紹介をします。
御朱印
建仁寺塔頭 両足院の御朱印
境内案内
建仁寺の学問面の中核を担う
両足院は、通常非公開で、特別拝観を初夏と冬季に期間限定で開催しています。
室町時代初期に建仁寺の開山の明庵栄西(みんなんようさい)禅師の法脈を受け継ぐ、龍山徳見(りゅうざんとっけん)禅師が開山した建仁寺の塔頭寺院です。開山当初は「知足院」という名でした。創建された当時の両足院は、知足院の別院、または徒弟院(つちえん)として建仁寺開山堂・護国院の中にありましたが、天文年間の火災の後、「知足院・両足院」両院を併せて「両足院」と称する事となり現在に至ります。
両足院は、室町時代まで霊泉院と共に五山文学(禅宗寺院で行われた漢文学)の最高峰だったと伝えられています。五山文学が廃れてしまった後も両足院は建仁寺の学問面の中核を担い、明治初期まで建仁寺にとって重要な僧侶を育成する場でした。
鞍馬寺の胎内仏であった毘沙門天
両足院に祀られている毘沙門天は、鞍馬寺の毘沙門天の胎内仏でした。寺伝によると、比叡山が織田信長に焼き討ちに遭った際、鞍馬寺の僧侶が比喜多養清にこの像を託したといいます。比喜多氏は、筑前・黒田家と縁があった関係で、黒田長政が関ヶ原合戦の際、この毘沙門天を兜に入れて出陣し、勝利を収めたそうです。明治維新後、明治10年(1877年)頃に、黒田家から両足院に寄進されました。後に、勝利の神として商売繁盛、合格祈願、良縁成就、誓願成就などの功験があるとされました。戦前には祇園の芸妓・舞妓に、「祇園の縁結び」としても知られていました。
毘沙門天は、古くから、<寅の年、寅の日、寅の刻>に出現するという伝えが多いため、そのお使いは虎だとされてきました。毘沙門天堂の前には、狛犬のように狛虎が祀られています。
建仁寺の御朱印
寺院情報
宗派
臨済宗建仁寺派
御本尊
- 阿弥陀如来(あみだにょらい)
所在地
京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町591
公式サイト
地図
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