妙覚寺の御朱印(御首題)情報/京都市上京区

上京区

京都市上京区にある「妙覚寺」の御朱印を紹介をします。

御朱印

妙覚寺の御朱印(御首題)

境内案内

織田信長の上洛時の宿所

妙顕寺、妙覚寺、立本寺の三寺はいずれも山号を具足山と称し、「龍華の三具足(りゅうげのみつぐそく)」と呼ばれている。大門は、聚楽第の裏門を、寛文3年(1663年)に移したものといわれており、安土桃山時代の建築である大門は、西本願寺飛雲閣、大徳寺方丈、唐門などとともに数少ない聚楽第の遺構の一つです。

妙覚寺は、永和4年(1378年)に、日実によって創建されました。日実は、もと妙顕寺の僧でありましたが、教義や後継問題をめぐる寺内の意見対立のために、同寺から離脱し、小野妙覚の外護により、四条大宮に妙覚寺を建立しました。実質的な創立者は日実でありますが、妙覚寺では日像を開山、日実を4世としています。寺は寛正7年(1466年)に、近隣の本覚寺と合併し、寺域を広げましたが、文明15年(1483年)には室町幕府9代将軍・足利義尚の命により、二条衣棚(現在の京都市中京区)に移転しました。

天文5年(1536年)の天文法華の乱際に、寺は焼失し、堺に避難しました。その後、天文11年(1542年)に、後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、妙覚寺は天文17年(1548年)、二条衣棚の旧地に再建されました。

天正10年(1582年)の本能寺の変の際に、織田信長の嫡男・織田信忠は、妙覚寺を宿舎としていたことでも知られています。天正11年(1583年)に、豊臣秀吉の命により、現在の地に移転しました。また、天明8年(1788年)の、天明の大火により焼失するが、その後再建されました。

「諸法実相」の自然庭園

この庭園はモミジを植えただけの自然庭園で、その名前の由来は法華経の中の「諸法実相」から付けられています。「諸法」はこの世のすべての出来事をいい、「実相」とは本当の姿を意味します。つまりは「世の中のすべてがあるがままで素晴らしい」の教えから、さまざまな人生の喜怒哀楽を乗り越えて「今を生きる」ことの大切さを表しています。

寺院情報

宗派

日蓮宗

御本尊

  • 十界曼荼羅(じっかいまんだら)

所在地

京都市上京区下清蔵口町135

公式サイト

地図

 

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