和歌山県和歌山市にある「紀三井寺」の御朱印を紹介をします。
御朱印
紀三井寺の御朱印
※西国三十三所観音霊場第2番札所
紀三井寺の御朱印(御詠歌)
※西国三十三所観音霊場第2番札所
「ふるさとを はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん 」
御詠歌
境内案内
「名水百選」や「日本さくら名所100選」にも選出される
紀三井寺(きみいでら)は、正式名は紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさん こんごうほうじ ごこくいん)と称します。宗派はもと真言宗山階派に属していましたが、1948年に独立して救世観音宗総本山とまりました。
寺域は紀ノ川河口平野の南部にある名草山(なくさやま、228.6メートル)の中腹にあって、境内から和歌浦湾を一望でき、山内に涌く三井水は紀三井寺の名の由来とされ、いずれも水源には慶安3年(1650年)の年記とそれぞれの名水の名を刻銘した砂岩製の水槽があります。また、三井水は1985年(昭和60年)3月に環境庁(現・環境省)が選定した「名水百選」に選ばれています。境内は関西一の早咲き桜として知られており、観桜の名所として名高く、日本さくら名所100選にも選ばれています。
伝承によれば、宝亀元年(770年)、唐僧の為光が、日本各地を行脚していた時に、名草山山頂から一筋の光が発せられているのを見ました。光の元をたどって名草山に登った為光は、そこで金色の千手観音を感得したそうです。為光は自ら十一面観音像を彫刻し、胎内仏としてその金色千手観音像を奉納し、草堂を造って安置し、千手観音を秘仏として納めたたのが紀三井寺の始まりであると言われています。
和歌山城からほど近いところにあるため、歴代藩主が訪れ、紀州徳川家の繁栄を祈願した寺でもあります。宝歴年間(1751~1764)に本堂を新築され、その本堂のなかには10代藩主治宝(はるとみ)が寄進した多宝塔(重要文化財)が安置されています。
開運・商売繁盛・良縁成就の坂「結縁坂」
表参道から重要文化財の護国院楼門を抜けると231段の急な階段がつづきます。これは結縁坂(けちえんざか)といい、江戸時代の豪商として知られる紀伊国屋文左衛門の逸話が残っています。若い頃は貧しい青年だった文左衛門は、ある日、孝養厚い彼は母を背負って紀三井寺にお参りをしましたが、途中、草履の鼻緒が切れて困っているところ鼻緒を取り換えてくれたのが、和歌浦湾を挟んで向かいにある玉津島神社の宮司の娘おかよ。これがきっかけで2人は結ばれ、宮司の出資金を元にミカンと材木の商いで大出世したと言われています。
それ以来「結縁坂」と呼ばれ、開運・商売繁盛・良縁成就の坂となったそうです。
巨大黄金観音
本殿と向かい合うように建つ新仏殿の内部には、新仏殿のご本尊が安置されています。寄木造の木造立像としては、日本最大級の総漆金箔張大千手十一面観世音菩薩像で、高さ12メートル、重さ約30トン、この観音像は仏師松本明慶の工房の作品です。像は2002年(平成14年)から制作を開始し、2007年(平成19年)に完成、2008年(平成20年)5月21日に入仏落慶供養が行われました。
寺院情報
宗派
救世観音宗
御本尊
- 十一面観音(じゅういちめんかんのん
所在地
和歌山県和歌山市紀三井寺1201
公式サイト
地図
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