奈良県桜井市にある長谷寺塔頭「法起院」の御朱印を紹介をします。
御朱印
長谷寺塔頭 法起院の御朱印
※西国三十三所観音霊場番外札所
長谷寺塔頭 法起院の御朱印(御詠歌)
※西国三十三所観音霊場第番外札所
「極楽は よそにはあらじ わがこころ おなじ蓮(はちす)の へだてやはある」
御詠歌
長谷寺塔頭 法起院の御朱印(徳道上人)
境内案内
長谷寺の開山堂
法起院(ほうきいん)は、長谷寺の塔頭寺院で西国三十三所番外札所です。
寺伝によれば奈良時代の天平7年(735年)に西国三十三所を創始したと伝えられている徳道がこの地で隠棲した事に始まるとされています。
徳道は晩年、境内の松の木に登り法起菩薩となって遷化したと言われ、当院の名称はそれに由来します。
江戸時代前期の元禄8年(1695年)長谷寺化主の英岳僧正が寺院を再建し、長谷寺開山堂としました。
徳道上人は、養老2年(718年)の春、突然の病ので仮死状態になられた際、閻魔大王に会い、悩める人々を救う為に三十三所の観音菩薩の霊場を広めるように委嘱され、そして三十三ヶ所の宝印を与えられて仮死状態から解放されました。
上人は西国三十三所の霊場を設けましたが、人々は上人を信用しなかったので、やむなく宝印を摂津中山寺に埋めたと伝えられています。270年後の永延2年(988年)に、花山法皇がこの宝印を掘り出され、西国三十三所を復興されたと伝えられています。
長谷寺の御朱印
長谷寺の御朱印情報
寺院情報
宗派
真言宗豊山派
御本尊
- 徳道上人( とくどうしょうにん )
所在地
奈良県桜井市初瀬776
公式サイト
地図
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