京都市東山区にある建仁寺塔頭「正伝永源院」の限定御朱印を紹介をします。
御朱印
建仁寺塔頭 正伝永源院の御朱印(如庵)
※書置き
建仁寺塔頭 正伝永源院の御朱印(亥)
※書置き
授与期間は、2019年1月10日~27日、3月1日~18日
第53回「京の冬の旅」期間中です
境内案内
正伝院と永源庵
正伝永源院(しょうでんえいげんいん)は、正伝院と永源庵の二ヶ寺であり、いずれも臨済宗大本山建仁寺の塔頭でした。
正伝院は文永年間(1264年~1275年)に、建仁寺12世・紹仁義翁(ぎおうしょうにん)が現在の祇園花見小路四条下ルに建立したのが始まりです。しかし、天文年間(1532-1555)の京都での戦乱以来、正伝院は荒廃し、天文21年(1552年)に建仁寺とともに焼失しました。 元和4年(1618年)に、織田信長の弟の一人織田有楽斎(長益)により再興され、隠居所と、茶室「如庵」が建てられました。 有楽斎は中興の祖となります。のち有楽斎の没後(1622年)、隠居所は正伝院に寄進されました。1872年、京都府による窮民産業所設立のために、正伝院は境内の建物を放棄し、寺号のみを残して替地となりました。
永源庵は、正平年間(1346~1370年)に、建仁寺39世・無涯禅師によって開山されました。細川家始祖・細川頼春の菩提寺として、当初は東山清水坂辺に創建されたといわれています。肥後細川家の最初の菩提寺となり、応安五年(1372年)に建仁寺塔頭となりました。細川家より入寺、住持になる者も多かったといわれています。 室町時代年間(1398年〜)、現在地に移りしました。
明治6年(1873年)に、正伝院は永源庵と合併し、寺号を「正伝永源院」に改められました。 この時、茶室「如庵」、書院などは祇園町有志に払い下げられ、宴会場「有楽館」になりました。その後、明治42年(1909年)に、正伝院の旧地の伽藍(書院、庫裏、総門、唐門、二重閣門、長好閣)は売却され、移転となりました。書院、茶室「如庵」、露地も東京に移され、有楽館も売却されました。
昭和37年(1962年)、織田有樂斎、その夫人、娘、孫の墓は、正伝院旧地より現在地に移されました。 昭和55年(1980年)に、方丈が修復され、平成8年(1996年)に、茶室「如庵」が復元されました。
建仁寺の御朱印
寺院情報
宗派
臨済宗建仁寺派
御本尊
- 釈迦如来 (しゃかにょらい)
所在地
京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町594
公式サイト
地図
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